釣寂会のおいたち

発会式の様子(中央でお話になっている方が猗々斎宗匠)

昭和二十五年、龍谷大学弁論部主催で、浄土真宗本願寺派の宗門関連校の弁論大会が平安高校で開催されました。

その折、出場者全員と審査の先生方にせめてお茶でもと、西本願寺にある飛雲閣で接待することを計画し、当時の藪内流の御家元であった十二代御家元猗々斎宗匠にお願いしたところ、快くお引き受けくださいました。

宗匠と一緒に接待をした時のお茶の素晴らしさに深い感銘を受けた部員たちが、その翌日に家元を訪ね、是非卒業までに茶道部を作りたいと希望し、部員名簿と会の命名宣言等を準備したところ、その熱意に宗匠も快くお引き受け下さりました。その後、飛雲閣で盛大に発会式を行い同時に、「釣寂会」と宗匠より命名していただき、ここに茶道部釣寂会が発会いたしました。

釣寂会には、大学生という若い世代に、茶道を筆頭に日本の伝統文化を知ってもらいたいという猗々斎宗匠の尊い思いが込められています。若い世代の茶道の世界への第一歩として釣寂会はあるのです。

会名「釣寂」の由来

釣寂の由来は、飛雲閣の玄関である舟入の間である釣寂湾に因んだものです。現在飛雲閣には、周りを取り囲む池に橋が架かっていますが、昔は橋が架かっておらず、飛雲閣に席入する来客は全て舟を使い、釣寂湾を通って中に入りました。飛雲閣は西本願寺、藪内家にとって、創建以来、茶の由緒の深い場所、つまり茶の殿堂であり、その飛雲閣へ至る釣寂湾は、いわば茶道への登竜門と言えます。

これを私達にあてはめていうならば、私達が未知なる茶道の世界に踏み入るには必ずや潜らなければならない門、ということができます。

(この文章は機関誌釣寂第3号から転載し、文言を適宜改めました)

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